カンフーボーイズの見ている世界

本日も映画の感想になります。

タイトルは『クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜』

 

 ※この記事はネタバレを含んでいます。コンテンツの内容をご存じでない方は

   十分ご留意の上でご覧下さい。 

 

今日は映画クレヨンしんちゃんについてです。

単なる子供向けのアニメでないことは周知のとおり。

特に90年代の本郷みつる原恵一監督や、ゼロ年代水島勉監督の作品は

評価も非常に高く、今見てもかなり面白いものが多いですね。

 

これらの影響で、今でもクレしん映画は毎年チェックしてしまうのですが、

近年は正直微妙なものが多かったのです。(ユメミワールドは良かった)

しかしながら、本作品は久しぶりに、個人的にはかなり良かったです。

少し深読みしすぎかもしれないですが、かなり世相を読んだ作品でもありました。

 本作には魅力的なシーンがたくさんありますが、この記事では2つのポイント

について考えてみたいと思います。

それは次の2つです。

今までの敵と本当の敵

ぷにぷに真掌が象徴しているもの

 

今までの敵

 ブラックパンダは、序盤から中盤にでてくる、非常にわかりやすい、

しんのすけたちの敵です。これまでのクレしん映画を見ている人なら、

春日部の人たちが徐々に洗脳されていき、町を守るために春日部防衛隊

が立ち上がるという展開を想像するでしょう。

いつものヤツなのです(この時点では)。

 

今までの映画のテーマ

 いつの間にか町が乗っ取られていく恐ろしさを、クレしん映画では幾度も

描いてきました。『オトナ帝国』や『踊れ!アミーゴ』などは、特にそれが

前面に出た映画でした。そういったこれまでの映画では、この敵との対決で

最後まで引っ張っていたのです。

敵との対立=価値観の違い がテーマだったのですね。

 

 

 

本作のテーマ

 しかし、本作はそうではありませんでした。ラスボスと思われた敵はあっさり

攻略され、真のテーマが現れてきます。

それが、ぷにぷに真掌の暴走(=行き過ぎた正義の心の暴走)です。

今までの映画が価値観の違いについての物語だとすれば、

これは価値観の強制への抵抗について語るものなのです。

 

この物語は、

「社会の中にみんなが依存するものがあり、その依存を止めようとしたとき

価値観の強制が行われる。この強制に立ち向かう主人公たち」

という、とんでもなく壮大な構造があるのです。

 

そして、現代にはこの構造が内在しているものがあります。

それが表現の自由と規制の問題や、SNSが社会にもたらしたものなのです。

ブラックパンダラーメンは、現代のネットにおける非常に依存性のある表現や

過激な表現の象徴と言えるでしょう。

例えば、ブラックパンダラーメン大店長がヤミツキ拳の秘孔突きで人々を

一つのことしかできないようにする場面があります。ネットの中で時々出会い

ますよね、同じ主張を繰り返すことしかできなくなってしまった人たちが。

SNSは現代の麻薬と呼ばれることもありますが、ラーメンを使ったSNSの象徴

がうまくハマっています。とにかくそのことしか考えられない、与えないと

暴力的になるなど、強いメッセージ性で描かれていました。

 

 そういったSNS上の人々の表現に対して、ぷにぷに真掌がやってきます。

ぷにぷに真掌は正義の暴走、強すぎるカウンターなのです。現実でも、

過剰な叩きや炎上、表現規制の議論などが起こってしまっているように。

ぷにぷに真掌の結果、人々は皆お花畑を見ているような顔になります。

カラッポな頭で、きれいな物だけを見ていればよいという価値観の強制が

行われたのです。

 

 本作は現代から次の時代への変化を見据えた作品になっているのです。

「わかりやすい敵を倒せばよかった時代は終わり、今は自分の中の正義の暴走こそが

本当の敵といえる時代なのではないか?」

というのが本作のメッセージのように感じられます。

 

ぷにぷに拳とぷにぷに真掌

 ぷにぷに真掌は、しんのすけたちが習う、ぷにぷに拳の奥義です。

元となる「ぷにぷに拳」は、柔らかさに重点を置いた拳法で、

最初は、”柔よく剛を制す”を体現する、ありきたりな物語のパーツ

のように思われます。相手の技を受け流し、反発させることに主眼を

置いた拳法ですね。ぷにぷに拳で一番難しい9番目の技に至っては、

なんと(⁉)相手の戦意を完璧に喪失させることが目的なのです。

9つの技はどれもふざけた名前ですが、意外と実用性があり、実際に

しんのすけたちを何度もピンチから救ってくれます。

 ただし、これらの技はあくまで拳法の表面的なものにすぎません。

「やわらか~い心」でいることこそが、真にこの拳法を会得する上での

才能なのです。

 

 「やわらか~い心」でいることは、序盤から、ガチガチのマサオ君が全然

技を会得できないところや、師匠の教えの中で繰り返し示されていますが、

特に、ぷにぷに真掌を受け取りに行ったところで最もはっきりとわかります。

 

 ぷにぷに真掌を受け取るために必要なものは何だったでしょうか?

ぷにぷにの精との6つの問答です。

ここでは、如何に常識や固定観念にとらわれず、純粋で、柔軟な心があるかを

試されているのです。

ランのように、正義感に支配された余裕がない状態だと、心が固いとみなされ、

奥義会得とはならないのです。

 

 正義感に支配された状態でぷにぷに拳を使うと、他者に対する批判を心が固い

状態で行うのと同じことになります。価値観の強制という、恐ろしいこと

が行われます。物語では、ランがあれだけ使いこなしていたぷにぷに拳ではなく、

暴力的な徒手で敵を倒すようになります。そして、あらゆる他者の心をカッラポ

にするまで、ぷにぷに真掌が暴走してしまいます。

しんのすけにトドメのぷにぷに真掌を使わないで去るランは、自分の暴走を

止めてくれる存在を求めていたようにも見えました。

 

一方、しんのすけは、ぷにぷに真掌の会得を認められながら、本能的に危険な

ものだと感じて会得を拒否しています。この流れも、これまでの映画と違う

ところです。従来だったら、奥義を手に入れるのはしんのすけであり、

自身のもつ独自性で敵を無双するところなのですが、本作はそうなりません。

敵を倒すことは本作で主人公が行うべきテーマではないのです。


 
 ぷにぷに真掌の暴走に対抗するためにとった、しんのすけたちの行動は、

本作品最大の見どころでした。

このシーンで描かれたのは、主人公の無双ではなく、離れたマサオを戻し、

5人で立ち向かうということでした。そして、マサオの使えないぷにぷに拳

で戦うのではなく、ジェンカ拳という新しい方法を模索しました。

ジェンカを一緒に踊った…というのはつまり、

鬼の形相で正義を執行することに飢えている人間を前に、

「お前もそんな怖い顔して立ってないで、こっち来て笑えよ!

一緒に歌って踊ろうよ!」と言ってみせたようなものだと思います。

 

これは子供向け映画としてベストな回答の一つではないでしょうか。

 

 しかも、本郷みつる原恵一時代のミュージカルのテイストをしっかり

受け継いで、町の人間が徐々に歌と踊りに巻き込まれ、いつもの笑顔を

取り戻す様子まで描き切っています。

これはまさに、お遊戯会や運動会で、大人と子供が一緒に踊ったあとの、

子供は楽しい運動の後の、大人は久しぶりに体を動かした後の、

爽やかな笑顔そのものでしたね。

 

他の見どころシーン

 本作には印象的な細かいシーンも多くありました。

食べ物に依存性の高いものを混ぜ、みんなでラーメンを食べる光景や

チェーン店が一気に広がる光景、悪質クレーマーに対抗する飲食店、

悪事を働いている奴らのCMが普通に流れる、あえて移民の街を壊して

ヒルズを建てる、マサオの劣等感と成長、ヤミツキ状態を脱する方法の発見、

しんのすけの主人公感へのメタ的な指摘などです。

 さらに、カンフー題材とあって、序盤からかなり徒手空拳のカンフーによる

アクションシーンも満載でした。

 

まとめ

本作は、今までのクレしん映画の魅力を受け継ぎつつ、新しいことに挑戦した、

大変意義のある作品に仕上がっています。

もちろん、103分という短い時間の中に詰め込んでいるので、中々登場人物の

掘り下げの時間がなかったり(特にマサオの劣等感など)、展開が早いなどの

面はあったとは思います。

 それでも、クレしん映画らしく、ブラックジョークや俗っぽさを随所に

出しつつ、しっかりメッセージ性も持たせている点は本当に優れていました。

 

以上です。

次回作にぜひ期待したいと思います。

 

 

最期までお読みいただき、ありがとうございました。

おしまい