あさひなぐ

こんにちは。

今回は漫画の感想を。

タイトルは『あさひなぐ』(こざき亜衣、2011年~連載中)。

 

※この記事はネタバレを含んでいます。コンテンツの内容をご存じでない方は

   十分ご留意の上でご覧下さい。

 

あさひなぐ (1) (ビッグコミックス)

あさひなぐ (1) (ビッグコミックス)

 

 

 作品の印象として

これはリアリティがある。

連載中なので結論めいたことは言えないが、まずそんな印象を抱いてしまう。

 

女子高生薙刀部の話で、地区大会、インターハイという、部活モノなら必ず出てくるといっていいおなじみの舞台。王道の青春スポーツモノ全開の設定な本作だが、どこかこれまで自分が読んできたものと違っている。良い意味で期待を裏切られる、爽やかで、熱くて、努力、友情、勝利がある!というものとは一味違う。

 

自分が感じている、このリアリティはどこからきているのか?

一言でいえば、ドロドロしているところだろう。

キラキラした青春ではなく、ドロドロした青春である。まるで重厚な青春小説を読んでいるかのように、人物の内面を描く場面が多い。それも、1行2行の心理描写ではなく、1話ガッツリモノローグが入ることなどザラなのである。思春期の人間の心理は底なしに深く複雑で、整理されていない。もうこれを描き始めたら、物語がガツンと深くなってくる。

 

登場人物は女子高生ばかりだ。しかし、ほのぼのとした雰囲気や、仲良しな雰囲気がほとんど出てこない。うわべの人間関係を描くのではなく、人間の内面にある正の感情も負の感情も全部出していこう、この年頃の女の子が抱えているものを出していこう、という意志があるように思う。

 

主人公の東島旭と、同じ代の女子部員2人との距離感にそれがよく表れている。

この3人は育ちも境遇も価値観も全然違う。同じ部活だから仲間な状態であり、クラスにいても絶対に友達にはならないような組み合わせの3人なのだ。

自分も長く運動部にいて経験したが、そういう人間とともに戦っていくのが高校の部活という場所であり、この危ういが強くもある微妙な人間関係が、リアルに見えて仕方がない。

 

部活の代ごとに微妙に人間関係の形が違うのも良い。1つ上は自分たちより仲がよく見え、下の代とは物凄くジェネレーションギャップがあるように感じるといったことだ。これも実際そう見えていたので、とてもよくわかる。すこし年が離れているにすぎないが、それだけ1年という時間が高校時代は重く分厚い壁なのである。

 

そんな感じで、とにかく高校の部活動というどこにでもあるものに対して、女子高生にとってのマジな感情、リアルな心理をぶつけるということをやっているのが本作なのである。

 

ガチでやっているけど全然うまくいかない、自分の理想とまるで違うものがどんどん出てくる、他人と比較し嫉妬する、才能の差を如実に感じる、そんなリアルな青春部活モノとして楽しんでいる。

 

この戦いはなんなのか?

薙刀部の話なので、当然薙刀の試合のシーンがたくさん出てくる。

しかし思うのは、 

女子高生たちがやっている、この戦いはなんなのか?

ということだ。 

 

単に武道の薙刀をやりに大会に来ているのではもちろんない。

いや、本当は元来そうだったのだが、実際にはそうではなくなっている。

 

彼女たちは戦いの場に物凄い荷物を抱えてやってきているのだ。

それは、思春期の複雑な心理だったり、微妙な人間関係だったり、家庭環境といったことである。より具体的に言えば、周囲の期待だったり、部長としての責任だったり、経験者としてのプライドだったり、卒業後の進路だったり、地元の先輩との思い出だったり、剣道からの転向だったり、病気で全試合もたない体力だったり、芽吹かない自分の才能だったり、エースだったのに怪我をして予定していた試合に出れなくなったりといった、重い重い荷物である。

 

それをもって戦いの場にやってきて、必死の形相で散っていくのが「大会」という舞台で起こっている、実際の出来事なのである。

 

そして、残酷なほど、こういった荷物を抱えていない者、荷物から先に解き放たれた者が勝者となる。それは、怪我をしていなかったころの宮路真春や、戸井田奈歩や、ふっきれた島田十和なのだ。

あるいは、吉崎百合音や河丸摂のように、荷物を抱えていても、そこから自らの哲学をもつことで、自分の荷物と上手に付き合い、強さを手に入れる者もいる。

 

女子高生たちの哲学では、足し算の哲学、引き算の哲学という概念がぶつかった場面が象徴的だ。足し算の哲学とは、人が積み重ねてきたものが今の自分の能力を決めているという考え方であり、強い人は積み重ねてきたものが人より多いからだと考えるのだ。対して、引き算の哲学とは、人の能力の限界はすでに決まっており、余分なものをいかに差し引けるかで目的のために使える能力が決まるという考え方である。強い人は、余計なことに力や時間を使わない人であると考えるのである。

 

河丸摂は筆者の最も好きなキャラクターの一人だ。引き算の哲学を身上とし、自分自身の分をわきまえて戦う。その哲学が強さにつながっている。

 

 この先、主人公の旭と二ツ坂高校がどうやって自分たちの荷物と向き合い、強さと勝利を得ていくのか、楽しみで仕方がない。きっと素晴らしい結論が描かれるに違いない。

これからも要注目の作品だ。

 

 

おしまい