ある男

今回は小説の感想を。

 

タイトルは『ある男』(平野啓一郎、2018年)。

 

※この記事はネタバレを含んでいます。コンテンツの内容をご存じでない方は

   十分ご留意の上でご覧下さい。

 

ある男

ある男

 

 

平野啓一郎芥川賞作家であり、現在もっとも活躍している小説家の一人だ。本作もやはり、しっかりと組み立てられた構成と肉付けがあり、小説としての力強さを感じた。また、入念な取材や下調べに基づいた、非常にリアリティーのあるフィクションになっていたと思う。

 

本作に登場する、戸籍の交換というのは、非常に衝撃的なテーマだ。読んだ人の多くが、日本にそんな問題があることなど認識していなかっただろう。なにより考えさせられたのが、戸籍交換の目的である。今までの自分の人生を否定し、新たな人生を手に入れるという目的を人はなぜ持つのか。

 

もちろん、自分の人生の選択すべてに何の後悔もない人など、まずいないだろう。成功している他人の人生をうらやむこともあるかもしれない。ただ、本作で語りたいことは、そういった人間の人生の歩み方についてではなく、人間が努力によって変えがたい出自、遺伝子、性格、性別などといった、人間が持って生まれたパラメータに対してどう向き合うのが最良なのか?ということだろう。

 

こうした問いかけについて考えながら読み進めていくと、本作の構成は見事だし、非常に共感する部分でもあった。戸籍交換というテーマを、人間のもつアイデンティティやさまざまな社会問題、結婚などのライフイベントとうまく結びつけていたからだ。

 

また、一つ時代を感じるのは、東日本大震災や排外主義、カウンター・デモといったキーワードが、本来虚構である小説のなかで、際立って具体的なワードとして出てきたことだ。

東日本大震災が、特に日本に住む人々にとって大きな時代の境界線であるというのは、今や共通認識だ。「その前後」について論じることは、現代を舞台に話をするのであれば、もはや避けて通れない。

 

排外主義の問題もSNSの興盛と密接に関係し、非常に現代人にとって身近な問題となった。ヒトラー映画の記事とも重なる話題だが、この問題は非常に浅ましいものと根深いものが入り混じって混沌としている。本作の主人公である城戸のように、深く関わりたくないというスタンスがあるのは当然のことだ。真面目に向き合って見返りがあればいいが、おそらく相当な疲労を伴って何一つ解決しないことになるだろうという予測を誰もが立てる。ただ同時に、自分は深く関わらないという選択が、胸を張って進むべき道だとも思えない。

 

ともかく、自分のスタンスというものは、自分が一生考え続けなければならない命題であるし、これに対して自分の生まれ持った要素がどうかかわってくるのかを考える上で、本作はとても良いきっかけとなった。

 

平野啓一郎のほかの作品にも、これからさらに注目していきたい。

 

おしまい