ロングウェイノース 地球のてっぺん
こんにちは。
今日はある映画について。
タイトルは
『ロングウェイノース 地球のてっぺん』(2015年 フランス、デンマーク)。
※この記事はネタバレを含んでいます。コンテンツの内容をご存じでない方は
十分ご留意の上でご覧下さい。
この前、恵比寿の東京都写真美術館まで行って観てきた。
本作はフランスのレミ・シャイエ監督の作品。
フランスの長編アニメーション作品は結構たくさん日本に入ってきている。
これはおそらくスタジオジブリの影響が大きく、高畑勲監督や宮崎駿監督がフランス映画の『王と鳥』などに影響を受けたことから、日本での啓蒙に熱心なためである。
筆者としては、フランスのアニメーションはアメリカ映画のような大資本が投入された映画と異なり、日本に入ってきにくいので大変ありがたい。
まだ、それほど本数を見られてないので、ニワカな意見で申し訳ないが、フランスのアニメーションは、アメリカのディズニーやピクサーとは全く違う作りのように思っている。
昔の2Dのころのディズニーは起源的な物なので、その影響はもちろん残っているのだろうが、今のフランスアニメーションは、アメリカ映画に比べると芸術性を非常に重視しているように感じるし、派手な演出で魅了するというよりは、静かで、洒落ていて、でも人間の根源的な部分に訴えかけるような作品が多い。2Dアニメーションとの相性も良く、絵そのものがもっている力強さは、絵画についての技術的な下地や文化的背景がしっかりしているからだろう。
そういった特徴から、フランスアニメーションを見かけると、面白そうというよりは、これは見ないといけない作品なのではないか、と直感してしまう。
本作の魅力
本作もポスターを見かけたときからどうしても見たいと思い、恵比寿まで足を運んだ次第である。劇場で見ることができて本当に良かった。もちろん、どんな映画も大画面で見るために撮られているとは思うが、この映画は内容の面でも、大きいスクリーンが非常にあっているといえる。先程述べたように、一つ一つの絵にとても力があって、風景画を連続で見ているような心持ちになるからだ。
数ある描写の中で特に良かったのが、砕氷船の船上での作業シーンや氷を割って進むシーン、爆破で船の態勢を立て直そうとするシーンなど、あの時代にしかない船の様々な描写を見られることだ。こういった描写は実写だけでは中々表現しにくいので、アニメーションの強みが活かされている。
道中では、ロシアと北極海の、寒さ、厳しさ、美しさが同居しているような神秘的な雰囲気の景色が続く。その広大な世界観は、スクリーンで見ると圧巻だった。雪と氷に覆われた極地は、様々な自然の風景の中でも不思議な美しさを秘めている。凍ったオルキンの遺体が地平線に向かってゆっくり進む様は、まるで太陽の光に吸い込まれていくようだった。広大すぎる自然の一部に還っていくような、一種の救いがそこにあるように感じた。
自然に対してあまり言葉で語っても、自分の中の少ないイメージで作られた虚像でしかない。この映画のように、絵で語ることが重要であり、もっと言えば、実際に行って観るのが一番なのは間違いない。この記事でも、この辺のことは十分伝えきれるとは思っていないので、作品のテーマのほうを少し考えてみたい。
ストーリーについて
本作のテーマを探っていくにあたり、まず、ストーリーについて考えてみた。
本作は、主人公のサーシャが、北極海で遭難した祖父オルキンの船ダバイ号を探しに行く物語だ。王道と言える冒険譚だが、サーシャの強い思いや登場人物の心の機微が丁寧に描かれ、物語に厚みが出ている。
話の骨子としては、
「先人の後を追う少女と仲間の冒険」である。
この脚本は、ひねりを効かせて観客を話に引き込むものではなく、登場人物の感情に観客をフォーカスさせ、真っすぐに魅了するようなタイプといえる。
このプロット自体は決して珍しいものではなく、冒険モノの鉄板の一つといえる。
主人公サーシャが冒険を通じて成長していくところもしっかり描写されている。登場人物の成長や変化があることで、ラストまで人物の感情がどうなっていくのかと、見ているほうも引き込まれる。
サーシャは旅の中で、いろいろなことを学ぶ。オルガのもとで給仕として働き、初めてお嬢様の生活から離れ、社会で生きていくことの厳しさを知る。自分一人の力では決して祖父のところにたどり着けないこと、そして、それゆえに冒険の発案者として、自分にはともに旅した仲間への責任があること、おじいさんも同じ苦悩に直面したこと…。それら全てを、サーシャは冒険の中で、身をもって理解する。
見ている側としては、サーシャの学びを見ながら、自分が同じ苦悩、同じ問題に直面した場合のことを考えてしまう。
もし自分がこうした立場に置かれたら、どう言った行動をとるだろう?何を考え、仲間とどう向き合うだろう?
「地球のてっぺん」という極限の場所で、吹雪に遭難、食糧難という極限状態。
極限が作る人間ドラマに最後まで目が離せなかった。
作品のテーマは何か?
本作の大きなテーマとして最も注目したのが、サーシャの動機だ。これがこの物語で最も重要なポイントの一つであるのは間違いないだろう。とにかくサーシャの「おじいさんの船を見つけたい」という熱意一つで物語を引っ張っていくわけだから、見てるほうとしては、なぜそこまでサーシャは探しに行きたいのかという疑問に行き当たる。
これが結構いろんな見方があって面白いと思うのだ。
以下に思いつくところを挙げてみたい。
① 遭難したダバイ号を発見し、祖父の身に何が起こったのか、真実を明らかにしたい。
② 祖父がたどった道を自分も歩んでみたい。同じような冒険をしてみたい。
③ 祖父の叶えられなかった夢をこのままただの遭難で終わらせたくない。祖父の名誉を回復したい。
④ 自分だけが見つけた手がかりがあるが、周りの人に信じてもらえず、自分以外に行く人がいない。
⑤ 自分の見つけた手がかりが本当にあっているのか確かめたい。
⑥ おじいさんの功績を認めてくれない王子に目にもの見せてやりたい。
⑦ だってそうしたいから。無我夢中で。
人間の心理的な根拠と、行動という結果は別に1:1の関係ではないので、筆者の感じた限りでは、最も大きいのは①であろうし、突き詰めれば⑦だともいえる。
サーシャはおじいさんに対する強い思い入れがあって捜索をしたいのだが、誰からもわかってもらえない。その必死さが裏目に出て、父親から失望を買い、家を飛び出して捜索を始めようとする。この瞬間に、サーシャの中でいろいろな感情の高まりがあったのは間違いないだろう。「真実知りたい」という欲求には、本能的な部分もあり、打算的な部分もあり、愛情もある。自分の寛恕すべてに自覚的ではないので、無我夢中ともいえるr。
どれか一つの理由なんてことはありえない。人間は矛盾した考えを同時に持つ生き物だし、周囲の環境もたいてい矛盾に満ちている。おじいさんを探しに行けば遭難のリスクは必ずあるし、家のことを考えたら大切なおじいさんをあきらめて、気に食わない王子におべっかを使うのがよさそうに見える。
ただ、サーシャは自分のやりたいことを貫いて、素晴らしいラストの運命をつかみ取ることができた。これにはやはり、初動のためのきっかけとして、いくつもの動機が重なって生まれた非常に強い思いがあるはずだ。とても一つの単純な理屈では説明できない。
だから、サーシャの想いは上にあげたもの全部かもしれないし、もっとあるかもしれない。他にもこんなものがあると気づいた人はぜひ教えてほしい。
他の作品
極地の探検物語や、海洋冒険ものは面白いものがたくさんあるので、また作品に触れたら書いていこうと思う。
海洋冒険ものだと『 エンデュアランス号漂流』とか。気になった方は読んでみてほしい。
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また、極地に行く物語として、本作に近いものに『宇宙よりも遠い場所』というアニメがある。これも物凄くおススメだ。
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追記
恵比寿写真美術館の劇場は、そんなに広いわけではないけど、静かでいい雰囲気の場所だった。ただ、座席の案内がちょっと疑問で、昔ながらの窓口でスタッフに口頭で指定するやり方なのだが、案内しているのが10席くらいある真ん中の列の端2席と真ん中2席なのだ。
なんでや!
10席に4人を案内するなら、間隔1つ開けてくれればええやろ!
全然混んでないラーメン屋でカウンターの端から順に座らされる気分である。
どう考えても満員にはならない時間帯なのだが…。
筆者は真ん中に案内されたので、ガラガラなのに隣の人の肘をすごく気にしながら見る羽目になってしまった。座席ズレるのも、それはそれで気を遣うからイヤなのだ。
空いているときは楽な姿勢で見たいものである。
せっかく平日に来たのにと思わなくもなかった。
おしまい