この世界の片隅に(1)事のはじめ

今日はある作品について書いておきたい。

この世界の片隅に』(こうの史代、2006〜2009)である。

書くことが多くて書き切れないと思うので、本記事は(1)とし、(2)以降に続きを書く。

 

  

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス)

 

 

 

この世界の片隅に : 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に : 中 (アクションコミックス)

 

 

 

この世界の片隅に : 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に : 下 (アクションコミックス)

 

 

 まず、この作品との出会いについて簡潔に書いていきたい。

 

はじめに

本作は2016年に片渕須直監督によってアニメーション映画化され、大変話題になった。自分も大きな影響を受け、同じ映画を何度も見に行くという人生初の体験をした、非常に印象深い作品である。

 

同時に、原作を読み、その完成度に圧倒された。こうの史代先生という作家を知り、そのディープで深い作家性にハマるきっかけになった。本作を皮切りに、『夕凪の街  桜の国』、『長い道』、『ぴっぴら帳』などを読み進めた。

 

ようやくこうの史代という作家について少しだけわかってきたという頃、ついに発表と相成ったのが、いわゆる「長尺版」の話だった。2016年公開版では泣く泣くカットした、原作のある一連のシーンを追加して、2019年12月20日より、

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

として公開されることとなった。

ikutsumono-katasumini.jp

 

片渕監督や真木プロデューサーが作りたいといっていたものが現実となったのである。もともとPVをつくる資金がなく(3年かけて制作費の見積り4億円が集まらなかった)、クラウドファンディングを行ってスタートした作品が、ここまで来たことは、特に関係者でもない自分にとっても感慨深い。そしてこの思いを多くの人と共感できていることが大変嬉しい。

 

この公開を迎えた現在、これまで自分が見てきたこの作品について、自分なりに整理しておきたい。正直書くことが多すぎるだろう。

 

この記事で触れるのは全体的な内容に留め、詳細な点は後日書く(2)以降としたい。細部こそ重要な作品であり、適当なことは書きたくないからだ。

 

原作漫画の魅力

本作の性質を語るキーワードとして「再現」「日常」「アナログ(連続性)」の3つを挙げたい。

 

こうの先生の作品は、実際にある(あった)ような日常的な事柄について調査・分析した上で、より正確に、漫画の中に再現したものとなっている。これは一律のスタンスであるというよりは、作品によって変わる。とりあげるテーマや当たっている焦点に対して、どの程度の詳細さが必要かということまで考えられた表現である。

 

それは例えば、背景に描かれる草木であったり、料理の仕方だったり、着物の縫い方であったりといったことだ。おそらく先生自身がそういったことを考えるのが好きなんだろう。全編漫画ではないが、図解がたくさん載った『平凡倶楽部』はそうした日々の記録を主観的に綴った随筆家としての一面が表現されている。

 

平凡倶楽部

平凡倶楽部

  • 作者:こうの 史代
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2010/11/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

詳細な再現によって形作られる日常は、さらにストーリーによってダイナミックに動き出す。淡々とした日常の連続は、様々なストーリーコンテンツの中ではつい省略されてしまいがちだ。だが、そこに焦点を当てると、同じように見える日常に、実はものすごく沢山の情報が隠れていることがわかる。

 

こうの先生のストーリーの作り方には①特にミスリードが上手い、②毎回話にちゃんとオチを入れる、③伏線をなにげなく回収するといった特徴がある。

 

3つとも本作でもほかの作品でも同じように発揮されている。

 

①と②は4コマ漫画の手法を活かしたものと思われる。長谷川町子先生の『サザエさん』が引用にあるように、この影響は明らかだ。4コマ漫画的に短く起承転結を作り、オチには「ミスリードからの実はこっち」や「漫才や落語的な掛け言葉、ダジャレ」、「漫画表現の重複を利用したどんでん返し」などを持ってくる形が頻繁に出てくる。この手法が本当に高い作家性を作っており、あなどれない。

 

普通の4コマ漫画と違うのは、1話完結型にするのではなく、前の4コマと後の4コマに話の連続性を持たせることだ。これをいくつもつなげて大きな話ができている。前の話に伏線を入れて後の話で回収する。しかも、回収はさりげなく、前の話を読んでない人でも後の話だけで4コマとしては成立するように作ってある。これを連載当時に読んでいた人は、この構造に気づいたら戦慄したに違いない。

 

さらには、何人かの登場人物の話を同時多発的に進行することがあり、それぞれが連続性をもって、それぞれ伏線を回収しだす。このため、見た目以上に話の情報量が多く、すべてを詳細に追うとなれば、何回もマンガを読んだり映画を見たりする人が多くなるのもうなずける。自分も何度気になって映画館に確認しに行ったことか。

 

こうしたことから、先生のストーリーづくりは、日常を描く話なのに、なにが起こるか想像がつかないことが多々ある。また、のほほんとした平和な日常が続くわけでもなく、登場人物の感情豊かに描かれる。家族から主人公にいきなりふっと毒が出たり、いつも優しい隣人が陰口を言ったり、差別や不倫や浮気、嫉妬、やっかみなども出てくる。その他のことで、生々しくでもはっきりとは描かないという場面も多い。常に登場人物の笑いや会話の中に正の感情と負の感情の両方を含めているのだ。

 

漫画表現は、先生自身が最新作『ギガタウン漫画図譜』で解説する通り、それぞれの表現に意味がある。絵には、すでにいろいろな場で語られていることだが、滝田ゆう先生、松本零士先生の影響がある。そしてカラー絵は水彩が多そうだが、印象派ゴッホの影響があると言われている。本作では見開きカラーになる箇所があり、ゴッホの『星降る夜』が意識されていると思われる。

 

ギガタウン 漫符図譜

ギガタウン 漫符図譜

 

 

また、先生は必ず自分なりの新しい表現を出し続けている作家でもある。利き手でない左手ですべての背景を描く、画材にこだわる(ペンで描くコマ、鉛筆で描くコマ、クレパスで描くコマ、筆ペンで描くコマが分かれている)といった部分では、表現に感覚的なゆらぎを出さず、必ず登場人物の感情や境遇などのストーリーに関連した理由がある。感覚で描くのではなく表現自体に理由があるタイプの作家だと思う。その理由を探りながら読んでいくのも、読者の大きな楽しみの一つだ。

 

映画『この世界の片隅に』の魅力

 原作者こうの史代先生の魅力については上記の通りだが、映画においては監督のことに触れなければならない。

 

片渕須直監督である。

 

片渕監督については以前『名探偵ホームズ』の記事で少し触れたが、日本のアニメ創成期からご活躍されているし、脚本家としても一流である。本作より以前に『魔女の宅急便』の制作に深く関わっているほか、『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』『ブラック・ラグーン』などで監督を務めている。どれも素晴らしい作品なので、興味があればぜひ見てほしい。

 

本作において、片淵監督は監督として非常にうまくハマったといっていいと思う。原作に対する理解が物凄く深く、こうの先生のやりたいことや作家としての特徴をよく理解し、それをさらにさらに突き詰めていこうという方向性が明確になっているからだ。ゴジラなどでもそうだったが、原作・原典をわかっている人が監督をやる映画は絶対面白い。

 

こうの先生がもともとかなり詳細突き詰めるタイプなのに加えて、片渕監督も同じタイプであるという。2人には違いがないわけではないが、長くなるのでそれは後日書くこととしたい。

 

ともあれ、2人の突き詰めによって、この映画では、ただでさえ多い原作の情報量に加え、色、環境音、効果音、音楽、背景、風景、時代考証、軍事考証、人々の行動の細部に至るまでひたすらに突き詰められ、とんでもない情報量の映画が誕生した。しかも映画の尺の関係で、原作以上に出てくる情報に対する説明がない。見る側のリテラシーも要求される、見ごたえ抜群の完成度である。

 

ただ、何の話をしているのかわかれば凄く面白いが、そうでないと逆に辛い。スピードが速いので、遅れるとすぐ次の話になってしまい、人によってはついていくのが大変だろう。筆者も初見はそんな感じだった。1回だけ見たという人の中に、何もわからないまま上澄みだけ掬って帰ってきた人がいても全然おかしくない。

 

また、この映画で片渕監督の作家性が前面にでているとは筆者は考えていない。ほとんどの映画では監督が作家性を発揮してこそ原作の小説や漫画が映画として成立するのだが、本作はその例にあらずだ。

個人的には、こうの先生の作家性が強すぎるので、これを縁の下から支えるのが監督の仕事になったのだろうと解釈している。それでいいのだと思う。原作の良さを消してまで監督が爪痕を残そうとするとかえってダメになることもあるのだから。

 

戦争というテーマ

本作は戦時下の話がメインとなる。舞台は広島県の広島(廣島)と呉だ。昭和20年の広島であれば、原爆投下の話は避けて通れない。むしろ日常を刻みながらそこに向かって突き進んでいくのがこの物語である。何が起こるかを皆がわかっている状態で見る日常の連続というのが、この話の構成の最も素晴らしい点の一つだ。

 

そして、今までの経験から、我々は戦時下で描かれる空襲などの悲惨なことについてもある程度想像をしてしまう。高畑勲の『火垂るの墓』や中沢啓二の『はだしのゲン』など、太平洋戦争をテーマとした作品はこれまで数多くあり、特に日本では毎年夏になるとそれらの作品に触れる機会が多かった。そのため、「戦争」=「つらい、悲惨」といったイメージがどうしてもついて回る。筆者も小学生の時、『はだしのゲン』の1巻を読むのが大変つらく、1回よんでからは触るのも怖かったほどだ。原作を知っているならともかく、初めて見る人間は、今回もそういった非常につらい経験を見せられて、最後は『二度と戦争をしてはいけない』というようなまとめで終わるのではないかと考えてしまうのは無理のないことだ。

 

しかし、 本作はいい意味でその想像を裏切ってくるだろう。登場人物たちは、読む人観る人にとって非常に身近に感じられることだろう。そしてそれゆえに、自分が当時にタイムスリップしたかのような没入感やこれまで以上の感情移入ができるに違いないし、戦争に巻き込まれたらどうなるのかについても、今までとは違った見方で考えることができるだろう。

 

この話題はまだ書かなければならないことがたくさんある。

本当は、筆者は、本作を「戦争モノの映画」というジャンルにくくり、同じジャンルの別作品とあまり見比べて欲しくはないのだ。だが、その理由は次の機会とする。

 

まとめ

ともかくも、大変喜ばしいことに、現代にこのような1つのすばらしい作品が誕生した。

 

まだ登場人物を全然深堀できていないし、ここまで主人公のすずさんの名前さえ出せなかったが、続きとなる記事はいずれ出していきたい。

 

今は映画館に急がなければならない。

まだまだ書くことが山ほどある気がするが、いったん締めさせていただくこととする。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

→(2)へつづく